足の引っ張り合いが好きな日本人になるな
先日見たドラマで、悪役がこんなことを言ったんですね。
その悪役は会社員で学習塾の運営する立場でした。
「自分は子供の頃、 親に諦めろと言われ続け、勉強したくても、塾とかにか通うことができなかった。原因は親ガチャに外れてしまったから。そのせいで高卒になってしまった。自分が大人になった今、学習塾で働いてる中で、勉強のやる気のない子供たちに、 自分が勉強したくてもできなかったことを思いながら、 あえて子供たちの勉強の邪魔をする。私の行為はやる気のない子供たちをお勉強から解放してあげていることなんだ」
というセリフがありました。自分が勉強できなかったから周りの人の勉強の邪魔をするというこの考えについて皆さんはどう思いますか??
これ見た時に、私は人間の器の小ささを見たなと正直に思いました。ただ気持ちがわからないわけでもないな、というところが本音ではあります。
日本人って、 足の引っ張り合いが好きですよね。自分が苦しいんだから、お前も苦しめよと、そういう思考を強く感じる場面が多いです。(私の勘違いであったら嬉しいですが、、、)
残念ながら大手企業でもありがちな考え方
私が経験した、いわゆる日本が誇る大手企業と呼ばれる会社でも、「私はこんなに頑張ってきた経験があるんだから、お前も理不尽なことであっても我慢してやれよ」と言うような上司がいました。いや、むしろ歴史のある大企業だからこそ意味のない伝統に縛られているという見方もできますね。
しかし、当たり前かもしれませんが私は自分が辛いんだから、相手は辛くないでほしい。より良くあってほしいと。そういう前向きな考え方がシンプルに美しいなって思ってます。
ですので、このドラマでは、私が勉強する機会を与えられなかっただからこそ、私は学習塾に通って講師として勉強を促す。そんな存在になりたいなと、そういう意思があればよかったんじゃないかなと思いました。
いつの間にか足の引っ張り合いバイアスにかかっている
「私はバイアスなんて無縁だよ」って方も無意識に囚われている場面が必ずあります。
- 私はこのように指導されてきたからあなたもこうするべきだ
- 成功者を見ると「どうせ汚いことやってるんだろ」とネガティブな感情が真っ先にくる
- 自分よりも劣っている(と認識している)人は応援できるが、その人が自分よりも優秀なステータスになると途端に嫌な気持ちになる
- しかし上記の場面でも自分を正当化するための理由を自分自身に語ってしまう
どうでしょうか。今までの人生を振り返ってみると思い当たる場面はないでしょうか。本当に恥ずかしながら私は経験があります。
この考えは無意識に囚われている場合が多いので、自分で振り返って自問自答しないと気づけないかもしれません。
今からでも自分を変えてみる
- 私がきついからあなたもきつくするではなくて、私が楽しいからあなたも楽しくなってほしい
- 私がきつい経験をしたからこそ、 あなたにはその辛さを経験してほしくない
- あなたの成功に対してシンプルに敬意を払う
というような生産性のある思想が広がるとより前向きな生活が手に入るんじゃないかなと思ってます。ご参考にしていただけると幸いです。